2008年 09月 26日
レクイエム by Durufle |
大阪センチュリー交響楽団第134回定期演奏会
今日は大阪センチュリー交響楽団定期演奏会、エストニア生まれのトヌ・カリユステ指揮でメインはM.デュリュフレ:レクイエム、シベリウスの組曲「カレリア」、エストニア生まれの作曲家ペルトの「三聖唱」というどちらかというとかなりマイナーな通向けなプログラムでした。 K
オーケストラ歴35年の私も初めてのデュリュフレ:レクイエム、
ペルト「三聖唱」いずれもぞくぞくする程の名曲でした。
知られざる名曲多し。
弦楽合奏の為のペルトの作品は随所に現れるゲネラルパウゼ(オーケストラ全員の休符、全く音が無くなります)が特に印象的な緊張感の高い作品でしたが、その休みの間ビートをカウントせず少々長さが違っても良いから、その「無音状態の緊張」「無の世界」を味わい「間」を感じながら弾く方が良かったように日本人の私は思いました。
楽譜には泊数がきちんとした休符として書かれていますから当然なのですが西欧人であるカリユステは几帳面にカウントを取り曲を進めていました。
そうするとその無音状態の緊張感が何か質の違う物になるように感じたのです。
指揮者カリユステはペルトの演奏では第一人者的存在だそうで西欧人的感覚からするとやはりカウントしなければだめなのでしょうね。
デュリュフレのレクイエムはメゾソプラノとバリトンの独唱を加えた混声合唱にオーケストラ、さらにパイプオルガンを加えた壮大なスケールの曲でした。
1947年の作曲ですからかなり現代的?であってもおかしくないのに曲はどこまでも美しく叙情あふれる曲です。
オルガニストでもあった作曲家デュリュフレですから今日もシンフォニーホールのパイプオルガンが本領発揮とばかり様々な音色を駆使しその美しく壮大な響きでホールを満たしていました。
パイプオルガンの超低音域(16フィートバスと言われる最低音域)と同音をオーケストラの中でコントラバスで弾いていると見事にパイプオルガンの響きの中に入り込めてその一体感がたまりません。
静かにFisの和音で終える全曲最後の和音ではパイプオルガンの響きの中に全楽器の伸ばす音が溶け込み、あたかも天国の理想郷に全員が溶け込んで同化し空中を漂っているかのような感覚にとらわれました。
そのレクイエム最終章の「イン・パラディスム」(天国にて)はそれこそ最後に現れる究極の休息地「天国」を描写しているのですが全曲の中でも特に神々しいばかりの美しい響きの連続。
その最終章で初めて現れる児童合唱が何とも例えようのない,この世の物と思えない「天使達」の歌声に聴こえる見事に整った美しい合唱でした。
「ころぽっくる児童合唱団」の清純極まりない歌声は本当に素晴らしかった。
今日は指揮カリユステの元、この世の物と思えない世界を演奏で表せたと自負していましたが、終演後はまた我々の置かれている厳しい現実(橋下知事による大阪府補助金削減による存続の危機)に戻り、ロビーへ駆けつけて「ワンコインサポート」や「ファンクラブ」勧誘に声をからしていた私たち楽員でした。
至福の天上音楽の演奏の後、我々を取り巻く厳しい現実の事などお客様にアピールしたくない私たちでしたがこれも致し方ありません。
今日もたくさんの方に募金・ファンクラブ加入いただきありがとうございました。
P.S.今月9月は今までのブログでレポートしていましたけれど文化庁の巡業で学校廻りが続いていたためシンフォニーホールのような音響の良い場所での演奏は本当に久しぶりでした。 今日はステージでシンフォニーホールの音響の素晴らしさをしみじみと噛み締めつつ演奏していた私たちでした。
ここをワンクリックして「Blogランキング」にご協力下さい。
Danke schoen.
終演後は先だってから特にファンクラブ関連の事で心を砕いてくださった方々や私たちを日頃から応援していただいている熱心なファンの方々との飲み会。
我々を取り巻く厳しい現実に如何に対処すべきか、厳しくもありがたい助言などせっかく美しい音楽を聴いて頂いた直後に生々しい現実の話題に巻き込んでしまい本当に申し訳ありませんでした。
ともあれその後は楽しい音楽談義に耽る事もでき充実した一時を過ごす事ができました。 K
今日は大阪センチュリー交響楽団定期演奏会、エストニア生まれのトヌ・カリユステ指揮でメインはM.デュリュフレ:レクイエム、シベリウスの組曲「カレリア」、エストニア生まれの作曲家ペルトの「三聖唱」というどちらかというとかなりマイナーな通向けなプログラムでした。 K
オーケストラ歴35年の私も初めてのデュリュフレ:レクイエム、
ペルト「三聖唱」いずれもぞくぞくする程の名曲でした。
知られざる名曲多し。
弦楽合奏の為のペルトの作品は随所に現れるゲネラルパウゼ(オーケストラ全員の休符、全く音が無くなります)が特に印象的な緊張感の高い作品でしたが、その休みの間ビートをカウントせず少々長さが違っても良いから、その「無音状態の緊張」「無の世界」を味わい「間」を感じながら弾く方が良かったように日本人の私は思いました。
楽譜には泊数がきちんとした休符として書かれていますから当然なのですが西欧人であるカリユステは几帳面にカウントを取り曲を進めていました。
そうするとその無音状態の緊張感が何か質の違う物になるように感じたのです。
指揮者カリユステはペルトの演奏では第一人者的存在だそうで西欧人的感覚からするとやはりカウントしなければだめなのでしょうね。
デュリュフレのレクイエムはメゾソプラノとバリトンの独唱を加えた混声合唱にオーケストラ、さらにパイプオルガンを加えた壮大なスケールの曲でした。
1947年の作曲ですからかなり現代的?であってもおかしくないのに曲はどこまでも美しく叙情あふれる曲です。
オルガニストでもあった作曲家デュリュフレですから今日もシンフォニーホールのパイプオルガンが本領発揮とばかり様々な音色を駆使しその美しく壮大な響きでホールを満たしていました。
パイプオルガンの超低音域(16フィートバスと言われる最低音域)と同音をオーケストラの中でコントラバスで弾いていると見事にパイプオルガンの響きの中に入り込めてその一体感がたまりません。
静かにFisの和音で終える全曲最後の和音ではパイプオルガンの響きの中に全楽器の伸ばす音が溶け込み、あたかも天国の理想郷に全員が溶け込んで同化し空中を漂っているかのような感覚にとらわれました。
そのレクイエム最終章の「イン・パラディスム」(天国にて)はそれこそ最後に現れる究極の休息地「天国」を描写しているのですが全曲の中でも特に神々しいばかりの美しい響きの連続。
その最終章で初めて現れる児童合唱が何とも例えようのない,この世の物と思えない「天使達」の歌声に聴こえる見事に整った美しい合唱でした。
「ころぽっくる児童合唱団」の清純極まりない歌声は本当に素晴らしかった。
今日は指揮カリユステの元、この世の物と思えない世界を演奏で表せたと自負していましたが、終演後はまた我々の置かれている厳しい現実(橋下知事による大阪府補助金削減による存続の危機)に戻り、ロビーへ駆けつけて「ワンコインサポート」や「ファンクラブ」勧誘に声をからしていた私たち楽員でした。
至福の天上音楽の演奏の後、我々を取り巻く厳しい現実の事などお客様にアピールしたくない私たちでしたがこれも致し方ありません。
今日もたくさんの方に募金・ファンクラブ加入いただきありがとうございました。
P.S.今月9月は今までのブログでレポートしていましたけれど文化庁の巡業で学校廻りが続いていたためシンフォニーホールのような音響の良い場所での演奏は本当に久しぶりでした。 今日はステージでシンフォニーホールの音響の素晴らしさをしみじみと噛み締めつつ演奏していた私たちでした。
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Danke schoen.
終演後は先だってから特にファンクラブ関連の事で心を砕いてくださった方々や私たちを日頃から応援していただいている熱心なファンの方々との飲み会。
我々を取り巻く厳しい現実に如何に対処すべきか、厳しくもありがたい助言などせっかく美しい音楽を聴いて頂いた直後に生々しい現実の話題に巻き込んでしまい本当に申し訳ありませんでした。
ともあれその後は楽しい音楽談義に耽る事もでき充実した一時を過ごす事ができました。 K
by prost-familie
| 2008-09-26 23:59
| コンサート